Ustreamで自らが首吊り自殺を遂げるまでの一部始終を中継した男性がいた。
24歳(つまり僕と同い年)の会社員で、最近は職場のプレッシャーからか仕事を休んでいたらしい。
躁鬱病を患っていたそうで、躁のときにはハイテンションでナンパを行い、その正否をブログに書いていた。それは死して後にもネットの住人から「リア充死ね」「痛い奴」などと悪罵される、痛々しい内容だった。
自殺の二日前から2ちゃんねるの大学生活板にスレッドを立てており、住民の中には説得を試みる人もいた。だが、「早く死ね」などと自殺を煽り立てる者も多く、男性はその言葉通り、自ら縊れて死んだ。
男性がタオルを首に掛けてから動かなくなるまでの一部始終が映った動画も観た。
目に映ったのは不思議と平板な光景だった。どこにでもありそうなワンルームマンションの内装を背景に、今まさに死んでいこうとする男性の身体さえつくりものの人形に見えるような薄っぺらな印象だった――ある瞬間までは。
目隠しとして袋をマスクのように頭から被った男性は、三分あまりの試行錯誤の末に自らの体重をタオルに預けたのだった。タオルから離れた手が奇妙な形で交差し、体全体ががくがくと激しく痙攣し、やがて動かなくなった。
首の骨が折れてから動かなくなるまで断続的に聞こえてきたかすかな音に、僕は逆にリアリティを感じた。それはポキポキ、と聞こえた。あらゆる体液が出てくるときの音なのかもしれない。
それは一人の人間の死にざまとしてはあまりにも静かで、あっけないものとして映った。
しかし、そこには紛れもなく現代の矛盾や苦痛を受け止めた一箇の死が記録されていた。
それを見守るWEBカメラの向こうの眼、無数の眼はそれをただ見届けるだけに終始した。
それを司る脳が、今しがた自ら命を絶った男性の行動を後押しし、十本の指がそう記した。
彼は最期の瞬間に何を思ったのだろうか。彼に救済の道は残されていなかったのだろうか。
僕もいつかこうした形で人知れず死ぬことになるのかもしれない、その可能性はゼロではない。